うつ病患者は幸せな夢を見ることができるのか

うつ病闘病日記。うつ病の私が幸せになる方法を色々と試した結果を記録していきます。

はじめまして

今日からうつ闘病日記を始めたいと思います。

うつ病は難治性が高い病気だそうです。

日々私が治療として試みた薬以外の内容とその結果を記録しながら、皆さんに何が効果的で何が効果的でなかったかをご紹介できたらいいなと思っています。うつ病になった自分が無駄にならないように、どこかの誰かのお役に立てれば幸いです。

また、「うつ病患者は本当に幸せを掴むことができるのか」を自分を使って、できれば完治までとはいわず、寛解になるまで検証してみたいと思っています。そのため、闘病しながらの恋愛模様や、苦悩、嬉しかったこと、励ましになったこと、友人、家族についてなどを綴っていきたいです。なるべく本心で真実を語りたいと思うので、時々自虐的発言やネガティブなことを言ってしまうかもしれません。また、ブログはまったくの初心者なので、外向けの文章がうまく書けないかもしれません。

でも基本楽しく自由に書いていこうと思っています。皆さまからの情報やご意見も常時募集しておりますので、何かございましたら、コメントへご記載ください。

 

まずは自己紹介から。

名前:曖昧モコ(あいまもこ)

誕生日:1988年9月8日

出身:東京

職業:ゲームクリエイター

家族構成:父、母、姉

1988年東京都多摩市で出生。

1年後に練馬区へ引っ越す。幼少時代をほぼ団地で過ごした生粋の団地っ子。

周りも自分も一流サラリーマンの家庭で、小学校をのほほんと過ごす。周りから言えば箱入り娘らしい。

何故か親友は不良で、自分自身も学校の先生から睨まれていたが、この頃は人生で一番自由で楽しい時期を過ごした。今思えばキラキラと輝いていた。

 

小学校6年生の時、親が離婚。人生の転機が訪れる。

中学校2年生で親の都合で渡米。アメリカの田舎暮らしが始まる。

英語に苦戦しつつ、なんとか一年で学業に支障が出ない程度まで英語をマスター。

その後中、高、大、専門学校をアメリカで卒業。

 

2009年の12月頃、うつ病発症。日本の大学を逆留学として1年間通っていた。この頃は身体が重くてベッドから起き上がれなかった。時差ボケにしてはあまりにも時間がかかりすぎると思って病院に行ってみたところ、うつ病と診断。

2010年9月から1年休学。休学中専門学校へ行ってデザインや映像制作を勉強。自分のやりたいことを見つける。学校が楽しくて一時的にうつ病治る。

2011年8月に大学へ戻り、12月に卒業。卒業後専門学校へ戻り残りの1年を使って引き続きデザインと映像を勉強。

中学校2年、高校4年、大学3年半、専門学校2年の計約11年間を得て、2014年に日本へ帰国。ゲーム会社に入社。アメリカ生活の幕を閉じ、浦島太郎の生活が始まった。

2015年身体が重くてなかなか起き上がれない。会社へ行くことが困難になったため医者に相談したところ、うつ病再発と診断。

うつ病再発のショックでなかなか立ち直れず…。

現在は個人で会社を設立してゆるゆるとゲーム制作をしています。

 

色々本読んでます。映画やアニメ、音楽大好きです。紹介します。

猫大好きです。飼う予定です。

薬以外の治療のために、マッサージ行ったり、鍼行ったり、好きなアロマ買ったり、美容院行ったり、色々やってます。こんなことを書いていけたら嬉しいです。

薬は主に抗うつ剤としてアナフラニール、安定剤としてソラナックスを飲んでいます。